野良ちゃんたちとの出会い
散歩を始めて1年になります。そこで出会った野良ネコちゃんたちがたくさんいます。
その中の一匹のことを白牛と呼んでいます。これまた散歩コースで知り合いになった女性がいるのですがその方はおにぎりと呼んでいました。かわいい。
白多めで頭から額に少しと後ろ足、しっぽが黒の猫ちゃん。
小柄で人懐っこくて、私たちを見つけるとにゃーにゃーかわいく泣きながら一緒に歩く。
私たちの前を歩きながら突然ゴローンとでんぐり返りしてはおなかを見せる。かわいい。
すごくかわいい。散歩を始めてから1番初めになついてきてくれた子だった。
猫の前転も初めて見た、ユニークでかわいい子。
それは突然やってくる・・・
昨日相方からのメールでしろうしのニャン生の終わりを知らされた。
それはそれは突然で、頭では自分に言い聞かせていたのですが頭がぐるぐる回りました。
近所の一軒家でしろうしはかわいがられていたようで、飼っている?というより居座っているという感じ。
あくまでも自由に野良をしていて、そこの家のご夫婦にかわいがってもらってるというように感じられました。
そこの庭で女性に抱き上げられているところや、男性に撫でられているところを見かけたことがある。
そして、相方が出勤する際にその家の庭先で倒れて動かないしろうしに気付き、急いで車を止めようとしているときに家から女性が出てきて、しろうしに気付き亡骸を抱き上げて戻っていったそうです。
ありがとうございます。最後まで亡骸を大切に抱き上げてくれてありがとうございます。
しろうしとよく一緒にいた仲良しの金トラちゃんはそばでそれを眺めていたそうです。
猫ちゃんたち動物は仲良しの死について、なにを感じているのでしょうか?
前の日の散歩でもいつも通りに近寄ってきて、頭をなでた。
どこか怪我をしているわけでも、病気で元気がないということもなく、いつも通り声をかけ頭をなでて、また明日ね~とまた会えるつもりでなんの疑いもなく、バイバイした。
倒れている姿には事故にあった様子もなかったそうで。
どうしたんだろう?突然すぎるね。たくさんの野良ちゃんに出会っていつも頭には置くようにしているのが、野良ちゃんはいつどうなるかわからない・・ということ。
野良ちゃんのニャン生は厳しい。
それを念頭に置いて心の準備はいつでもしておかないと、メンタルよわよわな私はすぐに悲しみにとらわれすぎてしまい生活に支障が出てしまいます。お恥ずかしい限りです。
なんですが、やはり突然だと感じるし、しばらくはこの悲しみは続くのです。頭の中でしろうしが駆け回ってる映像がリピートし、もうあのかわいい子に会えないという悲しみ。命が尽きる時しろうしは痛くはなかったか、怖くなかったか、寂しくなかったか、幸せだったか。を想像してしまい、辛くなります。
でも、これ全部。人間が考えることで、猫ちゃんはただただ、今を生きているだけなのかもしれない。
本当にかわいいこだった。しろうし。ありがとう、お疲れさまでした。私もいつかはわからないけどそこに行くからね。また会おうね。それまで待っててね。
先にいなくなったすべての者とひとつになるときが必ず来る。生きとし生けるものすべては必ず命が尽きる。その時帰るところ。宗教や神話や童話のような天国という概念を信じてはいませんが、今は自分を落ち着かせるために妄想していたい気分です。しろうしは現世での野良ちゃんというサバイバル生活よりもずっとず~と安らかな場所にいると。
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